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執筆者の写真出馬 幹也

自分の可能性を拡げる「自信」の持ち方


随分とアップデートに時間を要してしまいました。私の仕事の関係上、1年のうちで何回か多忙な時があり、この時期はまさにそうなのです。少し落ち着きを取り戻しましたので、過日より思うところを記してみようと思います。

今日のテーマは「自信の持ち方」ということです。

自分にはまだ経験がたりない、能力が追い付いていない、故に自信などとうてい持つことはできない、というように考える方は少なくないように思います。かくいう私自身も社会人として日の浅い20代のころはそのように考えていたように思います。

様々な経験を経た今、より一層社会で活躍したいと願っておられる若手・中堅の方々に対して申し上げたいのは、「まず自信を持つようにしませんか?」ということです。

なぜそうなのでしょうか。誰に対してもその言葉が当てはまると考えてのことでしょうか。

端的に申せば、順序を逆にしてみませんか?ということです。

十分な能力が身に付いたら自信を持とう、長い経験を積むことができたら自信を持とう…等、多くの人々がそのように考えて(考え過ぎて)おられると思うのです。

どこまでの能力を身につければ自信がつくのか、どの程度の経験であれば大手をふって自信があるといえるのか・・・、そのような基準など、人生の中で実は誰も示してはくれません。

一流のビジネススクールでMBA(経営学修士号)でも取得したら自信を持つことができるのでしょうか。私はそうは思いません。私自身もMBA自体は取得しましたが、クラスメートの顔ぶれを思い返すに、現実社会でそのまま通用するような修了生は多くなかったと断言できます。当然一定のスキルは身につくとしても、人としての”深み”に欠けると申しますか、そもそもの”志”のようなものが感じられずに、ただ頭でっかちの人材を輩出している傾向が多くありました(その部分の育成をスキップしたとしても、MBAは取得できてしまうようなのです)。

”志”から始まる”深み”は、できるかどうかわからない中で自らの内から湧いてくる、未来への希望のようなものが本質なのだと思います。経験が浅くとも、若すぎると感じる年代であったとしても、”志”は持つことができます。要するに、”志”を持とうとするか否か、心の中から湧いてくる、未来への希望に焦点を当てようとするか否か、が重要なのだと思うのです。知識やスキルに偏重した教育の場ではそこに真摯な問いかけが不足してしまうのだと私は思います。

MBAプログラムという”非日常空間”の、対極にあるともいえる”現場経験”を想像してみます。

例えばですが、10年という期間、経験を積むことができたら自信を持ってよいのでしょうか。私は断言できないと思います。なぜなら、経験というものはあくまでも自分の中に蓄積されるものであって、客観的に測定できるものでなく、そこから何を学んだのかという要素によって、重み・深みも大きく変化するからです。

確実に「自信」に繋がる経験があるとすれば、それはお客様からの評価であると思います。「あなたはこれまで難しい場面で一生懸命私たちのために取り組んでくれた。それは大きな安心を与えてくれるものだった。あなたのこれまでの努力と貢献に心から感謝したい…」そのような評価をお客様からいただけたとするなら、それは確かに「自信」を深めるに値することだと思います。

自信を深めるに値する経験や能力・・・それはすべて客観的な評価が介在するものです。MBAプログラムを修了せずとも、日々の実践の中で、お客様や取引先など、社内・組織内とは違う基準で自分の仕事の質を評価いただける方々が居られたとして、高評価が続いたとすればそれは「自信」を深める出来事以外の何物でもありません。

では、そのような経験を経なければ「自信」は持てない・深められないということでしょうか。私はそれも少し違うように思います。

自分に自信を持つ、ということのスタートラインには、自らの可能性に目を向けていくこと、きっと自分はやっていける・頑張れる、とポジティブに信じることがあるはず、と思うのです。

自分の可能性を信じることができない人は、いつまで経っても自分自身がはじめから持ちあわせている良さ(持ち味)を見つけ出すことが困難です。周囲から見れば素晴らしいと思える事でも、自らはとてもそうは思えず、むしろ未熟な(と思える)側面ばかりに目が向いてしまうのです。

それが自分自身の中だけに留まるならそれも良いでしょう。問題なのはそのような人材にはいつまでも笑顔の浮かぶことが無い、ということなのです。常に不足を感じるがゆえに、自分に満足することがない、自分の中にたくさんある良さ(持ち味)を見過ごすが故に表情が常に厳しいままなのです。”目の奥”に光がなく、自然な笑いがそもそもないのです。

果たしてそのような人のまわりに、人が集まってくることがあるのでしょうか。

自分が決めた基準を優先するがあまり、自分自身にも厳しくなり、笑顔に無縁なままで居ることを憶えた人材。そんな人の傍に居たい・一緒に働きたい、と思う人が世の中にどれだけ居るでしょうか。息がつまるところに居たいと思う人など、居ないのではないでしょうか?

自分がもともと持ちあわせている可能性を信じましょう。そこから始めましょう。なぜなら、自分には他の人にない良いところがあるからです。他の人材が得意でない何かを持っているからです。

他の人の得意なところを認め、敬い、学びつつ、そのような人とのチームワークの中で自分が持つ持ち味を上手く活かしていくことができるなら、それはまさしく最高ですよね!

そうやって人生は成り立っているのだと私は思います。誰か一人の力で問題が解決し、未来が創られていくのではありません。各自が自分の持ち味を出し合って助け合い、その連携の中で大きな何かを成し遂げていくのです。眉間にしわを寄せ、自己満足に浸る余裕があるのであれば、外に出て、人と触れ合い、自分が貢献できることをしましょう。自分より優れたところを持つ人を思いっきり褒めてあげましょう。そんな瞬間から、何が生まれ始めるのではないか、と私は思います。

そして、結局のところ気づくのですね。自分の「自信」などというものは、そのような日々の中でいつの間にか身に付き、深められていくものなのだ!ということに…。


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