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自分の机でする仕事の大半は”作業”


創造力を高めたい、という希望は誰にもありますね。とくに、これからの仕事人生を長く展望する若手・中堅の皆さんにとっては(今騒がれている英語力などよりも更に)キャリアプラン上の死活問題とも言えるかもしれません。

そのために何をすればよいのでしょうか。書店に立ち寄り、ビジネス書を手にとって、読むだけで学べそうなものを探してみますか? それともビジネススキルを鍛えてくれそうなスクールに入って、様々に提示される課題に対処し解法の基本を学んでいくべきでしょうか?

どれにも意味はあると思います。自分が望むのであればという条件つきではあるものの、 学びは確実に得ることができますし、それが何であれ、自分自身が必要として いるものは自分自身が一番わかっているはず、という面もあるからですね。使えそうな知識・スキルにどういったものがあるのか、をまず概観するという意味でも、参考図書を手にとり、虚心坦懐に読書にいそしむことは最も手軽な自己成長への手段であることは明白です。

しかし十分に注意すべきところもあります。それは、学んだ・修得したはずの知識やスキルは、職場での仕事を始めとする日常生活の中で積極的に使ってみないと本当には身についていくことはない、ということです。

資料作りの場面を考えてみましょう。一言一句から表現を工夫し、見やすさも含めて、論点が瞬時に把握できる資料を作成することには、多くの知識・スキルが必要になります。それを教えてくれるスクールもあれば、詳しく解説してくれる書籍もあるでしょう。それらから得られる知識・スキルを駆使して、内外の関係者が求める品質の資料を作ることができた、と思える瞬間は、大きな達成感を得られるものだと思います。

けれども、私がここで提起したい問題は、それを超えたところにあります。

仕事は資料だけでなりたっているわけではない、ということです。資料自体は、ある人がある人(人々)に対して、考えていることを示す手段であってそれ以上のものではありません。良い資料に意味があることは言うまでもないことですが、良い資料があれば仕事がすべて完結していくか、という点では、まさしくそうではないということです。

自分の机で行う仕事の大半は資料作成やデータ入力、情報検索などに分類することができます。これまでは自分の机に居るかどうかが上司にとってはその人が仕事をしているかどうかの大きな判断基準でありました。その意味で言えば、自分の机に座り、PCを使って何かをしていることが仕事なのではないか、という”思い込み”を皆がつくり上げてしまってきたことも否めない事実、と思います(もちろんこれらは事務職中心の例え話であって、カウンターごしでの接客・販売、製造現場や設備保守等の現場系職域には当てはまりませんが)。

では、自分の机でやっていること自体は、本当に”仕事をしている”ということなのでしょうか。私はそこに、一つの落とし穴を見てしまうのです。

仕事には、大きく分けて創造力を必要とするものと、必要としないものがあります。驚くべきことに、机で行う仕事のうち大半は”後者”に分類されるのです。

「何だと~?資料作成に創造力は要らないというのか?白紙に絵を描いたり、文章を作成したりすること自体、まさに創造力が必要ではないのか?」という声もあると思います。しかし、そのような能力とは、いわゆる”制作力”であって、”創造力”ではないと私は思うのです。

ある明確なイメージがあって、それに近づけるように肉付けをしたり、編集したりするために必要な能力が”制作力”。それはスキルなので、人にも教えることができます。

しかし上記において、最初に必要になる”明確なイメージ”なるものをどう持つか、という点については、創造力に関することであって、スキルだけではない”感性とその発揮”を含んでいる、と私は考えるのです。

では(このケースで、成果の質を左右する一番重要な能力発揮とも思える)創造力とは、どのように身に着けていくことができるのでしょうか。私の考えは、実に簡単です。

「歩いて、見て回りましょう、語り合いましょう。そうすればきっと貴方の仕事に必要な創造力はいつの間にか身についていきますよ!」

(純粋な息抜きや休憩を除いて)机を離れ、歩こうとする場合、当然ながら仕事に全く無関係なところには足が向かいません。関係部署に出向き、何気なく見て回り(いわゆる観察をし)何とはなしに思い浮かんだことを念頭に、関係者に声をかけてみる、相手が応じてくれれば少し語り合う、そのときには無理でも、別に会って話す約束をする、等が進められます。

ここに創造力を発揮する、さらには修得するポイントがあると私は思います。

今準備している資料が的を得たものになっているのか、的外れなことを中心に、一生懸命に作業をしているだけではないのか、等が頭をよぎるのです。机に居たときには考えなかったことや、見ようとしていなかったことが見えてくる、そしてそれが、上記の”イメージ”であるとすれば、机にかじりついて行う仕事こそいつの間にか偏ったもので進めてしまう恐れを含んでいる、ということになるのではないでしょうか。

正にこれだ!と自他共に感じられる適切な”イメージ”を持つことができて始めて、資料作成は上手くいく前提が整います。そこからは具体的なスキルとしての制作力が良し悪し・出来栄えを左右することになります。それらを併せ持つことで、仕事上で必要な能力を獲得し、発揮していく、ということが整うのではないか、と私は考えます。

机に居る時間が長くなったなと思ったら、歩いて仕事場の関係先を見て回りましょう。関係者が居るところに出向いて、何気ない対話・ちょっとした対話をしてみましょう。その人の職場がどんな雰囲気になっているか、どんな内容のことが優先度の高いものになっているのか、を観察し、疑問や懸念を感じたらすぐに仲間や上司に話しかけてみましょう。

そこで感じるものすべて、見ること、話すこと、感じること、のすべてを元に、今自分がやっている”仕事”が、本当に関係先やお客様の側から見て意味のあるものになっているのか、このまま続けて大丈夫なのかを考え直してみましょう。大丈夫だ!と確信が持てれば、資料作成の速度も上がるでしょう。新たに気づいた!となれば、作成途上にある資料をつくり直そうとする勇気までも湧くかもしれません。

机で行う仕事の大半は”作業”なのだと考えたほうが良いと思います。それをもって仕事をしている、と判断することは止めたほうが安全だと思います。大切にすべきは、感性を研ぎ澄ます観察や対話から得られる明確なイメージ、そこから自分が今担っている役割というものを”客観視”することの組み合わせ、です。それらを上手くバランスしていける人材が、仕事の出来る人材へと自分自身を成長させていけるのだろう、と私は思いますね。


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