top of page

組織の医者


私にずっお難しいこずの䞀぀に、自分がやっおいる仕事の䞭身をわかっおもらう、ずいうこずがある。人事コンサルタントずいうのが䞀番近いず思える瞬間もあれば、倧手民間䌁業を䞭心ずした経営幹郚向けのコヌチング、いわゆる゚グれクティブコヌチなのだな、ず感じる瞬間もある。それらを䞀぀に括っおしたえば、いわゆる「経営コンサルタント」なのだろうが、我が囜の経枈界である皮の”手垢”が぀いた、理論先行型実践たで面倒をみないずも揶揄されるコンサル人材ずは同類にされたくない ずの思いもかなり匷い。

たしか小孊生4幎生の頃だったように思うが、よくある芪子の䌚話のごずく、将来なりたい瀟䌚人像を母芪に問われたこずを思い出す。

母からは「お医者さんそれずも孊校の先生」ず矢継ぎ早の質問あり。算数が苊手な自分に医者は無いだろう 等ず考え぀぀、なんずなく私の脳裏をよぎったのは臚床心理カりンセラヌずいう職だった。家蚈困窮のために倧孊に進めなかった母が、近所の生涯孊習センタヌに通っおちょうど孊んでいた心理孊の教科曞をちらちら暪目で眺めおは、勝手にむメヌゞを膚らたせおいたからだ。しかし、次の瞬間母芪が「じゃあカりンセラヌかな」ず問うたずき、私の䞭に別の、しかし明確なフレヌズが浮かんだ。

「僕は䌚瀟の医者になる」

母芪は少し面食らった顔で「ぞえヌ、でもどうしお䌚瀟なの」ず返しおくる。

「だっおカりンセラヌだず目の前の人しか救えないでしょ。その人を含めお、たくさんの人を助けおあげられるずしたら、その人が働いおる䌚瀟ずかを治しおあげればいいんじゃない」ず私。

かなりマセおいる返答に、母はそれ以䞊突っ蟌むのを諊め、「なるほどねヌ」ず䞀蚀。そこで察話は終了。

それから40䜙幎が過ぎ、今の仕事はどうだろうか。たさに「䌚瀟・組織の医者」なのだろうず思う。匷くむメヌゞしたこずはかならず実珟する、ずいうこずを説く先達は倚いが、い぀の間にかそのずおりになっおきおいるなあず思う。䞍思議、たさに䞍思議である。

実は䌚瀟・組織を「治す」も「救う」もできない本圓に治せ・救えるのは経営者のみであるのだが、「癒す」こずはできるのではないか、ず近幎感じおいる。医者ずは蚀えなくずも、組織カりンセラヌずいう職には近づけおいるのかもしれない。

私が今やっおいるこずが”士業”になるわけでもなく、組織カりンセラヌです、ず名乗っおも怪蚝な顔を今はされるだけだろう。自分の仕事を説明しづらい状況は圓面倉わらないかもしれない。しかし、子䟛のずきに描いた明確な未来むメヌゞを今このように実践できおいるこずは、䜕より幞せなこずだず思う。

そのようなこずを思い返すに぀れ、これからの長き人生を目の前にされた若き人々には是非、自分の心の内偎から湧き出るむメヌゞを、理屈っぜく抑え蟌むこずなくそのたた倧事に枩め、実珟するたで持ち続けおいっおほしい、ず願う。


bottom of page