経営層が現場層に入り込む実態をつくる要因はどこにあるか、ということについてもう少し考えてみたいと思います。結論的には以下の3要因に絞ることができるのではと思います。
要因1) 経営層(役員等)の評価基準
・ 担当する領域の短期業績を重視して評価されるとすれば、そこに自分の関心が向くのは人としての自然な思考・感情でしょう。投資家等から短期の営業利益予測で評価されていることを意識の中で受け入れてしまっているトップ(CEO、社長等)のもとでは、役員向けの評価基準がそれに連動してしまうことも仕方がない実情なのかもしれませんが…。
要因2) 意思決定のプロセス・ルール
・ 参加が求められる会議体のアジェンダが結局のところ、担当組織の業績報告と”詰め(期限内に問題・課題を解決するように上位者から圧迫される)”である、あるいは回ってくる稟議書が現場で解決すべきことばかりと見えつつも、書式上で決裁者とされていることに反発せず、踏襲する日々を続けているとしたらどうでしょうか。経営層が現場に入り込み過ぎることに疑問を呈する人は自然と居なくなります。
要因3) 経営管理スタッフたちの意識
・ 企画・総務・経理・人事等の経営管理スタッフは、上記要因群に深く関与しています。問題が発生するのは、そのようなスタッフが自社現場の実態や社外(社会・市場・顧客)の実態から遊離してしまっている場合です。経営層と近しいがゆえに感じる日々のストレスだけでも相当だとのことを理由に、現場遊離を受け入れず、いつの間にか経営層の指示・命令を優先し過ぎる、それが経営層と現場層の間にある「境界線」を破壊し、何でもかんでも上が知り、指示も出し、という実態を続けてしまう背景なのではないでしょうか。
私自身は、要因の1と2を生み、維持させてしまう力を持つ「要因3」を最も懸念します。経営層の評価基準が適正なものか、意思決定のプロセス・ルールがおかしくないか、ということを常に客観視し、望ましい変化を起こしていくべきなのが経営管理スタッフという役割のはず。厳しい売上目標も、商品開発の期限も背負うことなく、組織内に流通させるだけの書類で多くの仕事が出来てしまう立場ですし、出世が約束されたキャリアであるかのごとく自己満足に浸る者も少なくない、そのような”慢心リスク”の大きい環境で働くのが経営管理スタッフです。しかし!!そのような立場にあっても、現場からの信頼が厚く、バランスの取れた素晴らしい仕事をする人材に出会うと、私はその視点の高さ、視野の広さに感動すら覚えます。どの組織にも(少人数ですが)存在するように感じますね。
組織を動かすという責任は、スタッフではなく経営層にあるものです。しかし、決断する・説明責任を果たすという経営層1人ひとりに掛かる強いプレッシャーを適度にやわらげるのも、望ましい組織の方向性を導き出していくという準備や調整・促しも、補佐する立場としての経営管理スタッフの職責です。そこにやりがい・生きがいを感じ、柔軟な発想と勇気ある行動を日々重ねておられるような方々と、私はこれからも多く出会っていきたいと思っています。
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