「皆の仕事ぶりを見守っている」タイプの上司は、部下の信頼を得やすいでしょう。一方、見守るだけのつもりが、いつの間にか部下の成長機会まで奪ってしまう上司が居ます。部下もその気配を感じ、“一線”を越えられることがないように距離感を保つ“自己防衛”に走るケースもあるようです。
このようなケースを考える上において、部下も一人の立派な大人(社会人)であると受け止めることは大変重要なことであるように私は思います。
大人とは、自らの行為に責任を持てる存在と言い換えることができます。自分自身の頭で考え、意見を整理して述べ、勇気を持って行動し、その結果を振り返りながら、本来目指す状態に近づけようと更に努力を続ける、そのプロセスを辿れると自他ともに認めているのが大人。
部下の成長機会をいつの間にか奪う上司は、部下の本来の姿を軽視しています。指示したことをすぐにやる部下だけを“尊重”し、あれこれと考え悩むが余り、成果を作ってくれようとしない部下は“尊重”に値しない、と自分基準で排除している・・・??
そのような部下の心の中にもし、上司の想像を超えたアイデアが隠れていたとしたら、組織力拡大の可能性はその時点で縮減してしまっているのです。
部下に期待する成果への関心を否定するものではありません。むしろ、それこそが「部下との間で語り合うべきテーマ」だとの考えすら私は持っています。しかし、だからといって“人としての”部下を軽視してよいということにはならないと私は思います。
仕事上の成果に関心が向きすぎると、部下という“人間”が抱えるさまざまな事情に配慮しようとする気持ちが薄れ、重要な変化点に気づかなくなってきます。
有能なAさんに対して、高いハードルの仕事を任せたとします。Aさんは有能であるが故に、何とかそれをやり遂げようと努めます。確かに期待に応えるレベルにまでは到達するのですが、どこか物足りない部分が残ることがありうる。上司はそれをAさんの努力不足と見て、叱責のようなフィードバックを返します。ナニクソ!という反発を期待して上司がした声かけでしたが、もしここでAさんが予想外のネガティブな反応で返したとしたら?
部下である前に一人の人間、という言葉で表現してみたいと思います。仕事なのだから、対価・報酬を得ている立場なのだから、そんな甘いことでどうするのかという気持ちは一旦脇に置いて考えてみましょう。人間である以上、能力(質と量)には限りがあります。未来を見通すことも、仕事の成果を完全に保証することもできません。家族を含め、体調が悪くなることもあれば、上手く関係性を作れない相手先もある、のです。
そんな人間同士互いに分かり合い、思いを重ねあって高いハードルを一緒に越えていく。そのような“寄り添う気持ち”が大切なのではないでしょうか。そのような、“適切な形での関心”を部下に寄せることができて初めて、組織力は最大化されていくと私は思うのです。
皆さんはどうお考えになりますか?