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執筆者の写真出馬 幹也

あれだけ言っておいたのにどうして?…からの脱却


私が大手企業や自治体向けの管理職研修などの場で強調することがあります。それは『理解から納得までの距離は遠いですよ』ということです。

他人の理解を得ようとすると人は懸命に説明します。プレゼン資料を練り上げ、質疑応答への対応を入念に準備してプレゼンにも臨むことでしょう。確かに、わかりやすい資料と説明があれば、理解は得られるでしょうし、好評を博すことも可能だと思います。しかし、いかに好評を得たとしても、プレゼンとは他に理解を求めていくまでの場でしかありません。

「あなたの言いたいことは分った」という意味の理解を得るまでがプレゼンの狙うところです。そこからさらに”腹に落として”もらい、自らの意思で主体的に行動してもらう段階、そこまで辿りつくには、さらに相当の時間が要る、つまり距離は遠いと、私は思うのです。

実際、何かの競争入札の場で、各社ごとの提案(プレゼン)がなされ、一定レベル以上の高い評価を受けたとします。そのことだけで採用されるかというと、必ずしもそうとは限りません。要するに、理解してもらうことと、納得(腹落ち)から具体的に行動に移してもらうまでの、その距離は遠い、と考えざるを得ないのです。

一方で、なぜ私たちは、誰かに何かを説明したとして、すぐそれを行動に移してくれることを期待するのでしょう? 目上からの指示・命令のような場合であればあるほど迅速な行動と結果を要求し、思ったように動かない部下に対して強く叱責したり、ときに非難したりする困った上司すら未だに散見されます。どうしてそのようになってしまうのでしょうか。

私は、『理解と納得までは遠い』ということが忘れられている、或いは気づいているけれどもそれを見ないようにしているのだと思います。

自分の思い通りになるか・ならないかが優先され、相手の気持ちや背後にある事情などを、仕事だという名目のもとで二の次にしてしまう。そのような、自分の成績や責任に目が向き、部下たちが抱えている様々な事情や、人によって異なる理解・納得・行動のスピードを尊重する姿勢に欠けている…、そんなリーダーに対して、果たして人は付いていくでしょうか?

たとえば、理解を得るということのためにも周到な準備が要ります。聴いてくれる人、納得してもらいたいと思う人の立ち位置に立ち、どのような説明であれば受け容れられるか、よりスムーズに理解から共感へ、共感から納得へと繋げてくれるだろうかと考え、内容はもとより、話し方や質問の受け止め方、皆が前向きになれる対話の進め方、等を準備していくのです。

根本原理は一つ、相手をどこまで思いやれるかどうか、ということだと思います。

では、相手を思いやることができる力とは、”スキル”なのでしょうか?私はそうではないと思います。スキルを身に着けていく土台=基盤のようなもの、”心根・信念”のように説明されるものだと思います。

「あれだけ話しておいたのにどうしてやっていないのだ!?」と言い放つ人材はリーダーの適材ではありません。少なくとも人の上にたつ●●長のような役目からは外れるべきです。

世の中の多くの仕事は、人と人とが役割を分担し、強みを出し合い弱みを補完しあって、それぞれが心を込めて成し遂げた仕事を、社会のために一つに編み上げていくようなものであるはずです。物事が理解できただけでは動きません。目指す状態や目的・目標に共感し、自らの強みが活きる、自分なりの貢献方法が具体的にイメージできた瞬間、そこで”腹落ち”が生まれ、行動へと繋がっていくのです。

真のリーダーとは、その一連のプロセスに対し当たり前のように寄り添うことができる人材のことだと思います。一人ひとりのメンバーに対する思いやりの心、皆の力を一つに束ねて社会が求めている価値をいち早く実現していく志。胸に抱いたその志を熱く語る姿に、人々は突き動かされるように、理解から共感、納得から行動を具現化していくのではないでしょうか。

『理解から行動までは遠い』のです。でも人間の多くは、共感できることのために自らの人生をかけて参画したいと思っています。まさしく、私が知る真のリーダーたちは、そのような世の成り立ちを良く分っていて、状況に合わせた行動が選択できる人々であるように思えてなりません。

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